忍者(にんじゃ)とは日本の戦国時代から江戸時代に実在した、武士とは異なる極めて特殊な武装集団です。
昔の日本では、上級武士である侍たちが権力争いをしていました。政府は幕府と呼ばれ、国を統一していましたが、地方ではそれに不満を持つ侍たちがいました。そこで幕府は、侍には無い特殊な武力と諜報力を持った忍者の集団を利用して、それらの反抗的な侍たちを監視していたのです。
幕府は日本全国を統一していました。それは各地の大名(現代の知事に相当します)を管理下に置くことで実現していました。幕府は江戸(現在の東京)にあり、遠い地方の大名が何をしているのか、あるいは本当のことを幕府に報告しているのか分かりません。ひょっとしたら、地方では幕府に対する反乱計画があるかもしれません。そこで幕府は、独自に情報を収集するため、忍者を日本中に送り込んだのです。彼らは普段は農民や商人に成りすまして、各地の出来事や噂を収集していました。
昔の日本は幕府が統制していましたが、深い森の中や山間部の農村にまでは管理が及びませんでした。そういった地域では、農業をしながら、自衛のため、独自に武力を鍛錬していました。幕府はそれに目をつけたのです。
武士には礼儀があり、諜報活動や破壊工作には向いていません。しかし、武装した農民には、礼儀を守る必要が無く、目的の達成のためには非礼・非情な事でも行えるのです。幕府は密かにそういった農村の武装集団を育成し、雇いました。それが「忍者」なのです。現代で言うと「諜報部員」です。忍者は本来の身分が低いにもかかわらず、国を統一していた将軍が直轄する組織でした。
将軍直轄ではあっても、忍者は非公式な組織であり、存在しないことになっていました。このため、もし忍者が地方の侍たちに捕まると、盗賊として処刑されてしまいました。忍者は厳しい仕事だったのです。
幕府が忍者を採用したことで、幕府に統制されていた各地の大名たちも対抗して忍者を採用しました。大名たちは自分の領地で幕府の忍者が情報収集することを好みませんでした。自分たちに都合の悪いことが忍者によって幕府に伝えられると刑罰を受けるかもしれなかったからです。そこで、自分たちの領地で諜報活動をしている忍者を殺すため、別の忍者を雇いました。
こうして忍者の需要が増え、日本各地に忍者の里ができました。忍者の里としては、主に二つの地域が有名です。一つ三重県の伊賀(いが)で、もう一つは滋賀県の甲賀(こうが)です。忍者は出身地によって流派があり、「伊賀流」(いがりゅう)、「甲賀流」(こうがりゅう)などと呼ばれます。甲賀流忍者屋敷(http://www.kouka-ninjya.com/)によると、この他にも忍者の里と流派はたくさんあり、現在49の流派が明らかになっています。
忍者の家には練習のため、あるいは敵の忍者や武士に襲われた時のために、様々な工夫が凝らされていました。それが「忍者屋敷」(にんじゃやしき)です。とてもユニークなため、今では多くの旅行者が訪れる観光地となっているところもあります。
忍者の中で最も将軍に評価されたのは伊賀出身の服部半蔵です。彼は百人以上の部下を与えられ、江戸城の警備を任されるまでになりました。
忍者は武士とは異なり、特殊な武術と武器を使ったことで、現代でもその存在は興味を持たれています。日本ではドラマや漫画、アニメの題材になってきました。日本で最も功績を残した忍者を扱う実写のテレビドラマは1967年から1968年まで放送された「仮面の忍者 赤影」でしょう。このドラマは、当時の特撮技術の粋を尽くしたもので、現在観ても楽しめるほどです。
漫画では白戸三平(さんぺい・しらと)の「カムイ伝シリーズ」と「サスケ」が歴史的な事実を交えて書いた功績となっています。ドラえもんで知られる富士子不二男の忍者ハットリくんが有名です。近年では忍たま乱太郎が人気を得ました。Narutoは世界的に人気があり、コスプレでも親しまれています。
一方、映画の本場であるアメリカでは、忍者は熱狂的なファンがいて、映画のワンポイントとして使われることが多いのです。
忍者がどうして現代になってこんなに人気があるのか。それは、武士という武道の正統派ではない亜流・我流の武術だからです。そのため、日本刀の使い方を大切にする武士道とは異なり、敵を倒すためには、闇討ち、待ち伏せ、手裏剣、縄、鎌、吹き矢など、武士道からすれば非道な方法を容赦なく使うためです。忍者のやり方は、何でもありなのです。それは、世の中のしがらみに囚われた人々にとって、自由で、痛快で、面白いことこの上ないのです。By Noboru